今日もどこかへ帰りたい

帰る場所なんてない、都合のいい女の独り言

いぬのきもち

主人の帰りを待つ犬の気持ちをご存知だろうか。

毎日仕事に出かける主人を遠く離れた場所で想い、その帰りを待ち焦がれる犬の気持ちを。

 

わたしは、なんとなくだけれど、その気持ちがわかる。

というのも、2年ほど前、わたしは「犬のようなもの」だったからである。

 

以前のわたしには主人というものがいた。これは夫ではない。所謂ご主人様だ。つまり、主従の関係である人物がいたということである。

ただ、主従の関係と言っても、実際に会ってどうこうという関係ではなかった。海を少し越えた場所にお互い住んでいたため、顔を合わせて話したことはない。触れ合ったこともない。ただ、何度か電話で言葉を交わした程度の関係だ。そういう意味では、主従と言うには生ぬるい関係だったのかもしれないが、それでもわたしと彼の関係は、主人と犬、そのものであった。

 

彼とは主に電話越しでのやり取りを行っていた。彼がわたしに電話越しに指示を出し、わたしはそれに従い、彼の言うとおりにひたすら喘いだ。調教と呼ぶにはこれもまた生ぬるいやり取りなのかもしれないが、会えない分、彼の寵愛を受けるにはこの方法しかなかった。けれど彼はそれでも満足していた。わたしが彼の言うとおりにすることで、彼が興奮し、満足する姿を想像すると、わたしもまた嬉しかった。声のやり取りだけでも、もう立派に、わたしは姿の見えない彼に調教されていた。

主人と犬という関係は、約半年ほど続いた。今思うと短い期間であったが、わたしは彼に心底溺れていた。ただ、当時は揺れ動いてはいたものの、今思うとこれは愛ではなかったと自覚している。鬱を患い、人生のどん底でぐったりと横たわっていたわたしには、彼に支配され縛り付けられる快感が心地よかったのだ。

 

わたしはよく彼に犬であると表現された。それはもちろん、主従関係としての話でもあるし、また、ただ単純に、忠犬のようであると笑われたこともある。

彼とは電話でよく話をしたが、もちろん調教だけではなく、日常的な会話もした。わたしは実家で犬を飼っているから、犬の話をしたことがある。とても可愛いんだ、と親バカを炸裂させて彼に話をした。彼はただそのくだらない、どうでもいい話を一頻り聞いた後に、喉の奥で笑って、低く穏やかな声で「犬の話をするお前自身が、まるで犬みたいだな」と言った。

馬鹿なわたしにはどういう意味かわからなかったが、それを察した彼が「犬って、自分の玩具とか、宝物みたいなものを持ってきて、見て見てって飼い主に自慢してくるだろ。今のお前、それみたいだ」と教えてくれた。恥ずかしくて顔が熱くなったのを覚えている。反射的に謝ると彼は「いや、謝らなくていいよ。お前が飼い犬を可愛いと思うのと同じで、俺はお前の飼い主だから、そういうところがいいんだ」とまた喉の奥で笑った。彼はあまり笑うことが少なかったから、恥ずかしさと同時に、少し嬉しいような気持ちもした。

 

そんなふうに彼はわたしを自分の犬であると例えることがしばしばあり、わたしもすっかりその気になって、彼の犬というポジションに落ち着いていた。

彼は仕事人間だったため、仕事が忙しくなってくるとぱったりと連絡を途絶えさせてしまうこともよくあった。わたしはその間ひたすらに待ち続けるしかなかったが、修羅場をくぐり抜けると、仕事が終わった直後にわたしに連絡を入れてくれた。そして一言目には、必ず「いい子で待ってたか?」と、あの低くて優しい、穏やかな声で言うのだ。頭を撫でられているようなくすぐったい気持ちになって、いつも元気よく「はい!」と返事をした。犬が「わん!」と返事をするように。感情をあまり表にしない彼が「そうか、えらいな」と少し嬉しそうに言うたびに、わたしは満たされた気持ちになった。彼が褒めてくれる、その言葉が嬉しかった。

 

待っている間は心底寂しくて、何度も彼に連絡をしようとメッセージを打ち込んだ。だがそのたびにお菓子を目の前に差し出されながらもお預けをくらっている犬のように生唾を飲み込み、耐えていた。彼が帰ってきたときの、わたしを褒めてくれるあの言葉が恋しくて、いい子でいたくて、わたしは何度も彼が帰ってくるのを待っていた。

 

ご主人様の帰りを待つ犬の気持ちというのが、そのとき少し、わかった気がした。