今日もどこかへ帰りたい

帰る場所なんてない、都合のいい女の独り言

わたしでいること

仕事や恋愛が自分の思い通りにならないことって、たくさんある。たくさんあって、そこでわたしは過ちを犯したんだと自分に言い聞かせて、その度に後悔と反省をしたつもりでいた。けれどわたしはいつまで経ってもわたしのまま。いつの日だってわたしのまま。何度「学習しない」と言われたら気が済むんだろう。ここにこう書いているのに、たぶんこの先もわたしはまた似たような過ちを犯しては後悔して、そしてそれを繰り返していくんだろう。何度も何度も。だってそれは、わたしがわたしだから。


わたしはナルシストだから、自分のことは大好きだけれど、わたしはわたしでいることに非常に疲れているし、怒っているし、悲しんでもいる。呆れてだっている。わたしがわたしという人間でいる以上、わたしが思い描く理想のわたしになれることは、きっとこの先一生ない。きっとこの先も、わたしはわたしでいることを一生嫌だと思いながら生きていくんだと思う。

だからわたしをわたしのままでいいんだよと言ってくれる人が欲しかった。それは外見に関するような薄っぺらい話なんかではなくて、もっと深く深くの問題で。つまり、わたしを嫌だと思うわたしもまたわたしなのだから、それでいいんだよと言って許してくれる人が欲しかった。わたしはきっと一生自分を認めたり、許したりすることができないと思うから、せめて誰かにそうしてもらいたかった。そういう人がいないかと、今の今までフラフラと過ごしている。

結論から言うと、そんな人はきっとわたしがわたしを許せないのと同じように、一生現れないのだと思う。自分が自分を許せなくて、認めることができなくて、どうして他人がわたしを理解して、許して認めてくれるなんてことがあると期待しているんだろう。理由は簡単で、期待するほうが楽だから。わたしがわたしを許すよりも、誰かに期待したまま生きるほうが楽だから。そうやってフラフラと生きることを選んだのは何より自分自身で、ほらやっぱり、そういうわたしが嫌で、また怒って、悲しんで、呆れてる。何度も何度も何度もこれを繰り返している。どう考えたって悪循環。わかっているけどやめられないし、永遠に終わらない。わたしは一生この輪から出ることができない。絶望的だなと思う。いっそ笑えてくる。

「一生」という言葉を多用するのは大袈裟なのかもしれない。けれどわたしにとってはこの気持ちや考え方、感じ方は一生続いていくものなんだと思っている。一生、わたしはわたしという人間であることに怒り、悲しみ、呆れて生きていくんだと思う。お先真っ暗な人生だな、と心底感じている。自分のことは好きだけど、自分を許せず認められない人間の人生なんてきっとロクなものじゃない。今のところ、光なんて見当たらない。

今のところ、と一応付け加える辺り、やっぱり希望があることを期待している、甘っちょろいわたしの嫌な部分がまた見え隠れしていて腹が立つ。

この文章は特になんの考えもなく打ち込んでいる。いつもならできるだけ知的に見えるよう時間をかけて文章を構築して、何度も読み返して誤字脱字がないか、おかしな表現や言葉がないかとチェックをしているのだけど、もうそんな気力もない。ただただ言いたいことを、思っていることを吐き出したくてだらだらと同じようなことを打ち込んでいる。

ここ数日で理由はわからないが一気に気持ちが落ち込んで、SNSをチェックするのも嫌になってしまった。できるだけわたしを知っている誰かと関わりたくないし、いっそ関わりを断ちたくなっていた。いた、というよりは、今もそう思っている。けれど新しい人間関係を構築するのも嫌なので、現在八方塞がりの状態である。1人は好きだけど独りは嫌いだ、なんて洒落たことを言うつもりはない。1人にも独りにもなりたいわけじゃない。ただただわたしがわたしであることが嫌で、わたしを知っている人と一切関わりたくないだけ。でも、気持ちを吐き出すことがしたくて、久しぶりにブログを更新してみた。これで少しでも、わたしの気持ちが晴れるか、紛れるよう願いを込めて。